農★blog - 2009/03/30のエントリ
昨日29日、札幌市の積雪がゼロになったと発表されました。このところやや寒い日が続き、少しだけ季節が後ずさりしたような感じもあったのですが、週末に暖かさが戻ってきて、平年よりも半月ほど早く「積雪」ゼロとなったわけです。「ようやく春が…」「とうとう冬が…」。新たな季節を待ち望んでいた人、去り行く季節に名残を惜しむ人、反応はまちまちかと思います。個人的には、「う〜ん、3月中になくなっちゃうほど温暖化が進んでいるのか」と、別な意味で複雑な気分なのですが…。
家の周りにも、そうしたいつになく早い春の訪れを教えてくれるものがありました。堆積した落ち葉を突き破って顔を出す浅緑色の「ふきのとう」です。北海道では「一番最初に楽しめる山菜」としてけっこう人気があります。
単に「食べられる」というだけではなく、βカロチンやビタミンB群、カルシウムを含むなど栄養面でも優れていたり、煎じて飲むと、せきや痰、熱を抑える効果があることが、古くから言い伝えられてきたそうです。なるほど、昔の人の知恵はけっこう深いんですね。
いつだったか「ナマコを初めて食べた人は、どれだけ勇気があったことか」という文に出会ったことがあります。長い自然とのつきあいの中で、植物や動物について「これは食べられる、こっちは食べられない」とか「葉は良いが、根はダメ」などと体系的に選り分けてきた昔の人の挑戦を称える内容でした。また、ただ食べるだけではなく、例えばコーヒーなら「焙煎し、挽いて粉にし、お湯で淹れる、という形で飲用にする」などの、食文化を高めるために重ねられてきたさまざまな試行についても紹介されていたように思います。
「ふきのとう」を漢字では「蕗の薹」と書きます。このうち「薹(とう)」というのは花を付ける軸、花茎のこと。花をつける茎が伸びると硬くなって食べづらく、食べても美味しくなくなってしまいます。そこから、「人が何かをする適齢期を過ぎてしまった」ことをさす「薹が立つ」という言葉が生まれたとされています。確かに、私のような中高年になってくると、体力や瞬発力が求められるようなことについては「薹が立ちすぎて」、適齢期ではないものがたくさん出てきます。
しかし、物事について今までよりほんの少しでも関心を深めていく、それだったらもう少し頑張れそうな気もします。例えば、何かの食材について「食べられる・食べられない」「おいしい・おいしくない」というだけで終わるのではなく、その背後に重ねられてきた人々の無数の「試み」や「知恵」について思いをめぐらしてみるとか…。そうした姿勢を、季節の移り変わりの中で忘れてしまわないようにしたいと考えています。