
農★blog - 最新エントリー
みなさん、こんにちは。ひとには誰にでも、「ここに行くことが多い」という場所がありますよね。私は稚内に行くことが多々あります。
先日、私の知り合いに稚内で撮った写真をメールで送ってあげました。

看板に『最北端の線路 最南端から北へ伸びる線路は、ここが終点です』と書いてあるのが分かりますか?
私はメールの文章欄に「ここが日本の線路の終わりの土地なんだって。ここが最終地点」と書きました。
そうすると、返信されてきたメールには、「素敵な写真! でも、ここは線路が終わる街ではなく、線路がスタートする街なのですよ。日本の出発点です」と書かれてありました。
私はそのメールを見て、本当に感動しました。そうなんです! 私たち道産子は、日本の出発点に住んでいるのです。そこに鍬をおろして畑を耕したり、大草原で牛の世話をしているのです。日本の出発点で作られた農産品が、「北海道ブランド」として世界中で愛され、信頼されているのです。
折からの円高で、日本の輸出産業の中には、大きなダメージを受けているところもあります。
しかし、先人たちが築き上げてくれた「北海道ブランド」は、そのような時代の波に影響されない、堅固たるものがあります。これからも、私たちで日本が出発する土地から生まれた「北海道ブランド」を守り抜いていきたいものです。頑張ろう、北海道!!
みなさん、こんにちは。今朝、北海道の新聞やテレビ、ラジオで大きく取り上げられた地元ニュースは、「ファイターズ、クライマックスシリーズ惜しくも敗退」でした。
北海道日本ハムファイターズの皆さん、ファンの皆さん、北海道の皆さん、1年間本当にお疲れ様でした。昨年まで2年連続となっていた「小雪と紙吹雪の舞う中での優勝パレード」は見られなくなってしまいましたが、ファイターズの与えてくれた感動は今年も大きいものがありました。
数年前までは、「どこか一体感に欠ける」とも揶揄されがちだった北海道民がここまで盛り上がったのも、ファイターズの活躍と感動があったからでしょう。
シーズン中、稲葉ジャンプが札幌ドームに「震度3相当の揺れ」を呼び、東京から来た有名野球解説者たちに「応援で、ここまでなるものか? 信じられない」とうならせたほど。北海道でのファイターズ熱は、12球団で一番あついものがあったと思います。
2008年シーズン終了とともに、選手の退団など寂しいニュースも聞こえてくるようになります。引退後の「第二の人生」も、有意義なものであって欲しいと願わずにはいられません。
退団した方々が北海道でプレーしていたことを誇れるかは、これからも私たち北海道民が熱い応援を送り続けられるかどうかに懸かっています。
この姿勢は、北海道の農業にも共通点があります。道民が北海道の農業を応援しているからこそ、私たちは北海道の農産品を世界中で誇れるのです。
退団した方々には、「北海道でプレーしていました」と胸を張って言ってもらえるよう、道民が一丸となってファイターズを育てていきたいものです。

<2008年シーズンを終えた北海道日本ハムファイターズの選手たち>
写真は北海道新聞HPより引用
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/photonews/124870.html
写真と本文は、関係ありません。
みなさん、こんにちは。北海道民にとって大事な日がやってまいりました。
今日から北海道日本ハムファイターズは、埼玉西武ライオンズとのクライマックス・シリーズの第2ステージを戦うのです。「道民球団」とも称されるファイターズは、絶対に負けられない日々が続きます。
思えば、4年前の2004年。ファイターズが北海道に来たときに、ここまで盛り上がることを誰が予想したでしょうか?
それまで野球さえも知らなかった普通の女性たちが「大リーガー・新庄選手を見たいから、札幌ドームに行く。ファイターズを応援しに行く」と話しているのを聞いて、本当に驚いたものでした。なぜなら、それまでの北海道のプロ野球ファンといえば男性が圧倒的。そのせいか、札幌ドームが完成する前まで使用されていた「札幌円山球場」の外野スタンドには、女性専用トイレがなかったほどです。
この4年間、北海道民の応援方法も本当に多様化してきました。「札幌ドームに行って応援する」というスタンダードなものから、「農協や農家さんたちが活躍した選手への賞品として、地元の農産品を贈る」というユニークなものまで、本当にいろいろあります。
いずれの応援方法でも、共通している点があります。それは、「道民はファイターズが大好き」ということ、そして「ファイターズに自分自身の夢を託している」ということです。
日本シリーズ出場を目指して、がんばれ!ファイターズ! Go! Go! ファイターズ!!

<ファンと気さくに接するファイターズのマスコットB・B>
写真はファイターズ公式HPより引用
http://www.fighters.co.jp/expansion/entertainment/bb/gallery/2008/019.php
写真と本文は、関係ありません。
みなさん、こんにちは。私は今週、北海道の東、道東(どうとう)と呼ばれる地域に行ってきました。浜辺では、サケ釣りシーズンということで、多くの釣り竿が立っていました。
でも、釣れている人は、少なかったようで…。聞けば、今年はなぜか、サケがなかなか北海道沿岸に近づかないのだとか…。地元の漁協さんも、気をもんでいるようです。
海の異変は、それだけではないようです。地元の人からは、「ときどき、シイラという南方系の魚が漁船の網に引っかかるようになった」との声が上がっていました。
シイラって、こんな魚です。

インターネット・フリー百科事典「ウィキペディア」より引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:MahiMahi-bull.jpg
本文と写真は、関係ありません。
シイラといえば、ハワイで「マヒマヒ」と呼ばれ、高級料理とされている魚です。日本でも、高知県など限られた地域でしか水揚げされない南方系の魚なのですよ!!
そんな魚が、北海道の東のはずれ。もう千島列島が見えるような所で水揚げされているのだから、驚きです!!
たとえ迷ったにしても、シイラが生きたまま、冷たい海であるはずの道東沿岸までたどり着くのだから、本当に驚きですね。
海流の一時的な変化のせいなのか、温暖化のせいなのか…。いずれにしても、「クマがサケをくわえている」という光景がピッタリの北海道であり続けて欲しいものです。
みなさん、こんにちは。東京では夏日が続き、厳しい残暑に見舞われているようですが、北海道では一昨日ついに初雪が降りました!!

写真は、株式会社ゆうりん観光のサイトから引用。
http://www.rinyu.co.jp/kurodake/index.html
まだ、旭岳や黒岳などの山頂部分で観測されたのみですが、北海道に住む私たちにとって、「初雪のたより」というものは、「平地でも、まもなく雪が降りますよ」というたよりでもありますね。
「雪は天からの手紙である」とは、雪研究の第一人者だった故・中谷宇吉郎氏の有名な言葉です。雪の姿を素直に表現した、素敵な言葉ですね。
この雪は、手紙にとどまらず、「贈り物」としての側面も大きくあります。雪が積もるからこそ、北海道の人々は「井戸水が枯れて困る」という経験をしたことがありません。全国に出荷される黒松内町や共和町の水は、「おいしい!」と大好評ですよね。
野菜などは、雪蔵に越冬させることで、さらに甘くておいしい状態にして出荷できます。もちろん、雪がとけた後は、農業用水として使われます。
最近では、夏の冷房などとしても使う新しい取り組みが行なわれています。
でも、良いことばかりではないのですよね。毎年、雪の事故で亡くなる人もいらっしゃいます。
それでも、雪と上手に付き合うことができれば、どんなに素晴らしいでしょうか。「雪は天からの手紙である」。地球温暖化なども言われますが、この白くて美しい手紙がいつまでも届く北海道でありたいものです。
みなさん、こんにちは。季節は実りの秋になりましたが、どんな味覚を楽しんでいますか?
先日、私の会社の女性社員が、ルンルンしながら満面の笑顔で出社してきました。聞くと、9月5日に開催された、幌加内町の新そば祭りに行ってきたのだとか。

この地図のA地点が幌加内ですね。夏の気温は30℃、冬はマイナス41.2℃を記録したこともある「70℃以上も寒暖の差がある街」なのです。
その幌加内の名産品は、そば! 作付け面積も生産量も、日本一。高品質なそば粉は全国に出荷されているので、みなさんも知らないうちに幌加内のそばを味わっているかもしれません。
今年は新そば祭りと平行して「日本そば博覧会in幌加内」が開催されたために、日本中から20店舗のそば職人が集結し、その腕を競い合ったのです。1,800人ほどの小さな街には、6万人ものそばファンが駆けつけました。

会場には、熟練のそば職人たちに混じって、そば打ちの腕を披露した若者たちの姿も。彼らはなんと、幌加内高校の生徒さんたちでした。
幌加内高校は全国的にも珍しく、そば打ちの必修授業があるのですよ。しかも、そば打ち有段者も輩出する本格的な高校なのです。
http://www.town.horokanai.hokkaido.jp/school/hi/index.htm
会場には、そばの店舗以外にも一般の出店が80店も出店。JAきたそらち青年部が開発した「そばビール」など、珍しい地元特産品が会場をにぎわせていました。「おいしかった〜」と、女性社員のコメント。来年は、私もぜひ行ってみたいな。
なお、お問い合わせ先は、JAきたそらち幌加内支所の日本そば博覧会実行委員会です。幌加内そばキャラクターの「ソバミン」が、みなさんを出迎えてくれますよ〜。
http://www.hkd.mlit.go.jp/zigyoka/z_nogyo/wagamura/contest/01/area/t_01/index.html

みなさん、こんにちは。北京パラリンピックが開催され、選手たちの美しい汗と感動的な涙がテレビ画面に映し出されていますね。
今週、私が旅行してきた最北の街・稚内市では、街をあげての大盛り上がり! なぜなら、稚内市出身の藤田征樹(ふじたまさき)選手が自転車競技でメダル第1号に輝いたからです。

稚内市役所には、祝福の巨大垂れ幕まで掲げられました!! 「藤田征樹選手 銀メダル獲得おめでとう!」の文字が分かりますか?
11日現在、銀メダルを2個獲得するという、絶好調ぶりを発揮しています!!
藤田選手がパラリンピックで活躍することは、世の中に相互理解と助け合いの精神を広めるきっかけになることでしょう。
特に北海道では、他の地域と違い、「冬になると、点字ブロックやスロープ、平らな舗装が雪に埋もれて使えなくなる」という大きな問題に直面します。「天の贈り物」である白い雪も、障害者には「大きな障害物」になることもあります。
そんな困難も、助け合いの心で解決できるケースが多くあるのです。海外では“当たり前の光景”が、日本でも“当たり前の光景”になってほしいものです。
それにしても、「オリンピックと違うな…」と感じてしまうのは、テレビの放送時間。オリンピックはNHKでも民放でも1日中放送されていたのに、パラリンピックはNHKがダイジェスト版を放送するだけ…。海外では障害者スポーツがプロ化され、放送時間も多いというのに残念ですね…。
北京パラリンピックのテーマは「ひとつの世界、ひとつの夢」。北京で日本の障害者と世界の障害者が「同床異夢」を見ているような気がします。
みなさん、こんにちは。9月に入り、季節は夏に終わりをつげようとしています。この夏は、どんな「夏の味」を楽しみましたか? カキ氷やスイカなど、夏ならではの味覚を楽しんだ方も多いでしょうね。
私は、やっぱりメロンが好き。数年前、農村地帯に住んでいたころは、農家の友人から山のようにメロンをいただいていました。だから、その当時は毎日メロンが食卓を美しく彩っていました。本当に感謝です!!

写真は札幌市HPより引用
http://www.city.sapporo.jp/keizai/nogyo/gaiyou/meron.html
本文と写真は、関係ありません。
北海道は「夕張メロン」や「三笠メロン」など、意外なほど多品種メロンの名産地なのですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3
メロンやさまざまな果物は、北海道特有の「夏は、昼間が暑くても、夜になると肌寒い」という1日の寒暖の差があるため、甘みを増すのです。
さらに、高度成長期時代へ突入すると、米余りによる減反政策などの影響から、転作を余儀なくされる農家が多く出ます。そして、多くのみなさんが稲作以外のさまざまな品目に転向したのです。メロンも、そんな転作作物のひとつだったのです。
試行錯誤の末、北海道のおいしいメロンは、日本中のみなさんに知られるようになります。多くの方々に「おいしい」と喜んでもらえ、さらに付加価値の高いメロンは、農家にとっても“救世主”だったのです。
メロン農家をしている私の友人は現在、大農場を経営しています。遠くから観光客が美しい畑とおいしいメロンを目当てに大勢来るほど。家には、ガラスケースの中にたくさんのトロフィーが飾られていました。「なんのトロフィーだろう?」とのぞき込むと、そこには「杜氏 金賞」という文字とともに、友人のお父さんの名前が書かれてあったのです。
杜氏(とうじ)と言えば、日本酒を造る職人さんのこと。農家に生まれ育った友人のお父さんとは、まったく関係がないように思えます。
「おかしいな?どうして杜氏として表彰されたのだろう?」と思ったので、友人のお父さんに「このトロフィーは、どうしたのですか?」と聞いてみました。
そうすると、友人のお父さんは、こんなことを話してくれました。
「昔は農業だけで生活ができなかったから、冬場は都会へ出稼ぎに行っていたんだ。僕の冬の仕事は、杜氏。日本酒の酒蔵で、お酒を作っていたんだよ。そのときに、コンテストでもらったトロフィーなんだ。
出稼ぎは、本当に大変だった。北海道は半年間も大地が雪で埋もれるから、出稼ぎ期間も半年間になる。その間、家族に会えないのは、本当につらかった。『子供たちは、どうしているかな?』って思うしね。
でも、メロンを作るようになってから、収入も上がって、出稼ぎに行く必要がなくなった。このメロンのおかげで、やっと1年を通して家族の顔を見られるようになったんだよ」。
甘いメロンには、そんな苦い涙の味があったのですね。友人のお父さんの話しを聞いてから、友人の畑から採れるメロンの味が、それまでとまったく違う味に感じられるようになりました。やっぱりメロンが大好き。
みなさん、こんにちは。きれいな花に彩られた三角屋根の建物。宗谷岬に近い中頓別町の中心街にあるバスターミナルなのですよ。

実はこの建物、19年前に廃線となった鉄道「天北線」の中頓別駅を再利用したものなのです。地域住民が大事に使っているので、今でも美しいままですね。
この中頓別町の隣には、浜頓別町という、とても似た名前で、まったく別の自治体があります。

地図は、浜頓別町役場HPより引用
http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp/tenpokusen/
さらに、この地図を詳しく見てみると、「下頓別」「上頓別」「小頓別」という、中頓別町や浜頓別町にそっくりな名前が続きますね。
私もドライブ中、「ここは、ナニ頓別だったっけ?」と、迷ってしまうこともしばしばです。
浜頓別町や中頓別町に広がる頓別原野に駅を作った開拓当時は、「頓別」以外の地名が少なく、駅名のもとになるような物もなかったので、便宜的につけたと言われています。浜頓別町や中頓別町の名前も、そこから生まれたそうですよ。
だから、こんなややこしい名前になってしまったのだとか…。1文字違いだけなので、覚えるのが大変ですよね〜。
天北線がなくなっても、天北線が作った地名は残り、地域住民の心に生き続けています。いつの日か、この地域の歴史の礎を作った列車の汽笛が再び街中に鳴り響くと、どんなにか素敵なことでしょうね。
みなさん、こんにちは。ここがどこか、分かりますか?

ギリシャ神殿の一部のような、ゴシック調の建物ですね。ここは、稚内港北防波堤ドームという北海道遺産にも選ばれた由緒正しい場所です。
全国ネットのCMなどで使われることの多い場所ですが、放送される際は、あたかも外国であるかのように自動車を右側通行させることもあるのです。そのため、ここが北海道であることに気づかない視聴者も多いようですね。
私も初めて稚内港北防波堤ドームに行ってみたのですが、まるで異国の古代遺跡に迷い込んだような、不思議な気持ちになりました。回廊を吹き抜ける風は、ひんやりとしていて、真夏であることを忘れさせるほどです。
どうして、このドームが必要だったのでしょう?
このドームが建設された昭和11年、稚内市と日本領だった樺太との間には定期航路が開通していました。乗客は、乗り継ぎのために稚内港駅(現稚内駅)と桟橋の間を歩かなくてはいけません。
しかし、その頃の北防波堤は高さ5.5mしかなく、高波の時には大変危険だったのです。そのため、「コンクリートで作れる、頑丈な遊歩道を」と、当時の知を結集して作り上げたのが、このドームだったのです。
老朽化のため、昭和55年に改良工事が行われたものの、事故などを起こすことなく、現在も安全に使われています。先人たちには、学ぶことが多いですね。
ちなみに、稚内港北防波堤ドームの裏側は、こんな感じです。

宗谷海峡の厳しい荒波をまともに受け止めなければならない構造からも、このドームの堅固さが分かりますね。
ドームがあるおかげで、現在も稚内市民は、この写真のように水害におびえることなく安全に暮らせます。

皆さんも、北海道を訪れた際は、稚内市の「縁の下の力持ち」ならぬ「水ぎわの力持ち」である、この稚内港北防波堤ドームを見に来てくださいね。








