農★blog - 2009/03/05のエントリ
一週間ほど前、吹雪模様の中、あるJAさんにお邪魔してきました。用事を済ませての帰り道、ほんの少しだけ雪が止み、青空の広がる時間がありました。そのときに車窓から見えたのがこんな風景。何気ない農村風景の一つなのですが、ずっと荒れ模様の中を走っていた後だったためか、いつにも増して心が和むような感覚がありました。観光名所にはなっていなくても、農村の景観というのは、都市で暮らす者の心に何かを訴えかけるような魅力を持っているのでしょう。日本人だけではなく、多くの外国人から見ても日本の農村景観は、世界でも珍しいほどの美しさを持っているのだそうです。
ただ、そうした景観の価値というのは、それが「目に見えにくい」性質のものであるため、いろいろな難しさを抱えることになるのかも知れません。
例えば、ある自治体の首長さんから、こんなお話をうかがったことがあります。「町に広がる自然や農村風景、それら全体が貴重な資源で、地域のすばらしい財産なのですが、われわれ地元にいる者にとっては、それが毎日のことで、いつもの風景。そのためでしょうか、なかなかその価値に気が付かない。そんな傾向がどうしてもありましてね…」。その町は、町域に国立公園を含んでいて、農業と観光が基幹産業となっています。多くの方がご存知のように、国立公園とは「日本の景観を代表すると共に、世界的にも誇りうる傑出した自然の風景」として国が指定するエリアです。それほどの価値を町としては持っているのですが、地元の人としては意外にその大切さを受け止めていなかったりする、ということのようです。
また、こんな話を聞いたこともあります。ある地域で、環境整備と文化的な取り組みという二つの狙いを持って、公園に彫刻を設置していく事業に取り組みました。景気の良い時には順調だったのですが、経済がやや下降気味になってくるといろいろと意見も出てきます。地元の鉄工関係者がこんな提案をしてきたのだそうです。「彫刻家に1000万単位で予算をかけて依頼するのはもったいない。自分なら同じようなものを100万ぐらいで作れるんだけど」。きっと腕に自信のある気のいい鉄工屋さんだったのでしょう。しかし、「芸術作品がもたらす、目に見えない価値」を、その鉄工屋さんがどのぐらいまで意識していたのか、気になるところです。
最近、農業や農村の持つ「多面的な機能」ということが強調されるようになりました。人々の心を癒す美しい農村景観も、農業・農村の持つ多面的機能の一つとして位置づけられてきています。
けれども、そうした価値を正しく受け止めていく環境がまだ広がっていないのが日本の実情のようです。ある農業関係者から次のようなことを聞きました。「農業や農村の持つ多面的な機能ということがあちこち言われるようになってきた。では農家の収入は、そうした多面的な機能に応じたものになっているんだろうかというと、残念ながらそうじゃない。農家が手にしているのはやはり生産した農産物の分。景観、自然環境維持、交流の場、文化や伝統の伝承の場、そうした目に見えにくい価値についての対価を受け取る形にはまだなっていないんです」。そのため、「景観を守ってほしいと言われるけれど、そこに手間暇かけても何のメリットもない、と嘆く農家の人もいる」といいます。また、農業経営そのものが厳しくなってきている中で、農家の人々だけ、農村地域だけで美しい景観を維持していくのには限界が出てきて、地域にとっても日本にとっても貴重な財産であるはずの農村景観から、かつての美しさが徐々に失われつつあるのだそうです。
イギリス、スイス、ドイツなどをはじめヨーロッパ諸国では、「地域の景観は長期にわたる資産=文化的・経済的価値であり、みんなでそれを守っていく」という意識が徹底していると聞いたことがあります。たとえ「目に見えにくい」ものであっても、人々がその価値をしっかりと受け止めていく、ということが実現しているのですね。他国にできているのなら、日本でだって身近な農村景観を、地域全体の知恵、人材、資金を活用して守っていくということもできる、そんなふうに考えたいものです。そのような動きが少しずつでも大きくなっていけば、吹雪の後に青空が広がった先日の天候のように、農業や農村にとっての新たな可能性も開けていくのではないか…。何気ない風景に癒されながら、そうしたことが頭に浮かんできました。