農★blog - 2009/03のエントリ
昨日29日、札幌市の積雪がゼロになったと発表されました。このところやや寒い日が続き、少しだけ季節が後ずさりしたような感じもあったのですが、週末に暖かさが戻ってきて、平年よりも半月ほど早く「積雪」ゼロとなったわけです。「ようやく春が…」「とうとう冬が…」。新たな季節を待ち望んでいた人、去り行く季節に名残を惜しむ人、反応はまちまちかと思います。個人的には、「う〜ん、3月中になくなっちゃうほど温暖化が進んでいるのか」と、別な意味で複雑な気分なのですが…。
家の周りにも、そうしたいつになく早い春の訪れを教えてくれるものがありました。堆積した落ち葉を突き破って顔を出す浅緑色の「ふきのとう」です。北海道では「一番最初に楽しめる山菜」としてけっこう人気があります。
単に「食べられる」というだけではなく、βカロチンやビタミンB群、カルシウムを含むなど栄養面でも優れていたり、煎じて飲むと、せきや痰、熱を抑える効果があることが、古くから言い伝えられてきたそうです。なるほど、昔の人の知恵はけっこう深いんですね。
いつだったか「ナマコを初めて食べた人は、どれだけ勇気があったことか」という文に出会ったことがあります。長い自然とのつきあいの中で、植物や動物について「これは食べられる、こっちは食べられない」とか「葉は良いが、根はダメ」などと体系的に選り分けてきた昔の人の挑戦を称える内容でした。また、ただ食べるだけではなく、例えばコーヒーなら「焙煎し、挽いて粉にし、お湯で淹れる、という形で飲用にする」などの、食文化を高めるために重ねられてきたさまざまな試行についても紹介されていたように思います。
「ふきのとう」を漢字では「蕗の薹」と書きます。このうち「薹(とう)」というのは花を付ける軸、花茎のこと。花をつける茎が伸びると硬くなって食べづらく、食べても美味しくなくなってしまいます。そこから、「人が何かをする適齢期を過ぎてしまった」ことをさす「薹が立つ」という言葉が生まれたとされています。確かに、私のような中高年になってくると、体力や瞬発力が求められるようなことについては「薹が立ちすぎて」、適齢期ではないものがたくさん出てきます。
しかし、物事について今までよりほんの少しでも関心を深めていく、それだったらもう少し頑張れそうな気もします。例えば、何かの食材について「食べられる・食べられない」「おいしい・おいしくない」というだけで終わるのではなく、その背後に重ねられてきた人々の無数の「試み」や「知恵」について思いをめぐらしてみるとか…。そうした姿勢を、季節の移り変わりの中で忘れてしまわないようにしたいと考えています。
北海道南西部にある農村のスーパーで、珍しい光景を目にしました。「珍しい」とはいっても、「都会で暮らす者にとっては」という注釈をいちおう付けておきますけれども、それが写真にある「野菜の対面販売」。一般的にスーパーといえば、セルフ販売が基本で、対面販売のコーナーがあったとしてもほとんどは魚介や惣菜ぐらい。それに、対面販売が基本のデパ地下でも、野菜の対面販売をしているお店には出会ったことはありません。それで「へぇ〜珍しい、市場か八百屋さんみたい…」と感じたわけです。
お仕事の邪魔をしないように遠くから拝見していると、野菜を品定めしているお客さんにアドバイスし、質問にもていねいに応じていて、お客さんも納得顔で購入していきます。人員を配置するのですから何がしかの経費はかかるはずですが、それよりも、お客さんの満足度を高めていくことによって得られるものを重視しているのでしょう。お店側として、消費者の反応や買い物の動向をダイレクトに把握できる、という効果にも期待している面もありそうです。メリットと経費のバランスをどうとるのかは難しい判断だと思いますが、「スーパーでは基本としていない対面販売に、あえて取り組んだ」ということ自体が、一つの付加価値を生み出しているような印象を受けました。
そういえば…。無類の蕎麦好きなため、あちこち行くたびに、お蕎麦屋さん探しをするのですが、その中で、薬味につかう「わさび」を生の姿のまま出し客におろしてもらう、というスタイルのお店に出会ったのです。蕎麦も絶品でしたが、このわさびの一件で「他の店とはちょっと違うぞ」というイメージがまず伝わってきて、その演出に感心してしまいました。聞いた話では、数種類の薬味を別々の小皿に分けて出し、自分の好みの薬味を好みの分量で足していきながら味わえるようにしたうどん屋さんもあるそうです。
どちらかというと、「客の手間をはぶいてあげる」ということがこれまでのサービス、付加価値だとする方向が多かったように思うのですが、こうしたお店は逆だったのですね。あえて「客に手間をかけてもらう」ことを付加価値として位置づけていく…、そうした姿勢がそれぞれのお店の蕎麦やうどんの商品価値を、他の店以上に大きくしていると感じました。
分野は違っていても、このような発想の仕方や視点の向け方は、農業において求められている「新たな付加価値」を探っていくときにも、何かのヒントになりそうな気がします。そんなふうにあれこれと考えさせてくれたお礼の意味も込めて、小松菜とナス、キャベツ1/2玉を買わせていただきました。
「食のパレット北海道」のネットショップ1号店、2号店がオープンしました。JA夕張市さんとJAよいちさんのショップです。
夕張さんではショップオープン記念の先行予約販売が好評のうちに完売となり、第3弾の販売をはじめています。夕張農協検査場から直送される夕張メロンですよ。
まだ、覧になっていないかたは、ぜひご覧になってみては。
アドレスは、http://www.food-palette.com/ja-yubari/
また、余市さんと言えば、フルーツ。ぶどう、なし、りんご、いちご、プルーンなどなど…。夏に向けて旬のフルーツがお目見えする予定ですよ。
中でも、ハート形のトマトベリーは、北海道では、JAよいちさんのほかは個々の農家の方がいくつか取り組んでいるという、まだまだ数少ないものであるため、早いもの勝ちになる可能性大。たびたび、ショップをチェックしなければ…。
特別な日に、大切な家族のためにハート型のトマトベリーのサラダを。きっと、あなたのハートが伝わりますよ。夏まで待てないという方は、大玉トマトとミニトマトのブレンドのトマトジュース「余市小町」やりんごジュース「りんごのほっぺ」ですね。
JAよいちさんのショップはこちらです。
アドレス http://www.food-palette.com/ja-yoichi/
その年の「流行色」というものがあるのだそうです。「2009年春夏、レディースウエアの流行色は、ピンク・ベージュ・グリーン(青緑)が注目色なんですよぉ〜」。テレビに出てきた服飾評論家とおぼしき方が、そう力説されていました。ふだんからファッションとか美的センスとは縁遠い生活を送っているので、「流行色?、ふ〜ん」という感じで聞き流していたのですが、ふと「○○と▽▽が流行色って、誰がどうやって調べたのだろうか」「どのぐらい広まったら『流行した』と判断するのか」という疑問が…。あれこれ探ってみると、それは実に簡単な仕組みでした。
つまり、「流行色」というのは、世間に広まっているかどうかなどとは無関係。インターカラー(国際流行色委員会)という国際的に流行色を検討する場があり、そこで2年ほど前から検討を重ね、それを受けて社団法人日本流行色協会などの日本の機関が1年半前ぐらいに「○○年の流行色はこれだ!」と決める…、そういうプロセスになっていることが分かりました。ということは、世間に「自然に広まっている色」「広まりつつある色」などではなく、関連する業界が共同して「経営戦略として広めていくと決めた色」ということなんですね。
言われてみれば確かにそうです。でなければ、まだ冬なのに「09年春夏の流行色は…」などと、これからの季節の流行を話題にできるはずもないのですから。このことは、多くの女性の方、ファッション、デザインなどに関心のある方にとっては常識なのでしょう。でも、私のような中高年の者からすれば、「流行」という言葉を聞くと「何かの考え方や製品・言葉などが社会の中に広まっている、あるいは浸透しつつあるような状態」だと受け止めてしまいますから、どうしても落ち着かない感じが残ってしまいます。
ところで、「流行色」の一つに選ばれたグリーン(青緑)といえば、農家の人たちにとっては、流行とか何とかに関わらず常に身の周りで親しんでいる色だと思います。水田や畑、草地を舞台に、芽を出し枝葉を広げながら生育していく作物の緑。そして、流れる汗を拭いながら見上げると、そこに広がる大空の青…。もともと「緑」の語源は「芽出る」、木々や草が青々と茂るようすから認識されてきたものと言いますから、農業と深い結びつきがあっても何の不思議もないですよね。
農家の人たちだけではなく、多くの人にとってもグリーンは親しまれているようで、ある食品メーカーが実施した「最も食欲をそそる色」の調査で「緑」は見事に1位。400人中168人がこの色を選んだそうです。最近の日本人の健康志向を背景に、「新鮮な野菜を連想させる」というのが人気につながったと分析されています。また、もっと広い世界的な範囲での「人類の好きな色ランキング」によると、1位は約半数が選んだ青系列の色、2位は5人に1人が選んだ緑、という調査結果もあるそうで、09年の流行色のグリーン(青緑)が、ここでも揃って上位を占めています。
2009年春夏の流行色に「グリーン(青緑)」が選ばれたのは、エコロジーに対する関心が高まっている流れを踏まえて、「自然な循環」をイメージさせる色、という理由があったと伝えられています。せっかくそこまで目を向けてくれたのなら、もう一歩踏み込んで、青や緑と強く結びついている農業、自然とともに歩む産業である農業、そこにも正しい関心が向くように、今回の「流行色」をアピールしてほしい…。これまで知らなかった「流行色」のことが少しだけ分かってきた中で、そんな思いを強くしました。
一週間ほど前、吹雪模様の中、あるJAさんにお邪魔してきました。用事を済ませての帰り道、ほんの少しだけ雪が止み、青空の広がる時間がありました。そのときに車窓から見えたのがこんな風景。何気ない農村風景の一つなのですが、ずっと荒れ模様の中を走っていた後だったためか、いつにも増して心が和むような感覚がありました。観光名所にはなっていなくても、農村の景観というのは、都市で暮らす者の心に何かを訴えかけるような魅力を持っているのでしょう。日本人だけではなく、多くの外国人から見ても日本の農村景観は、世界でも珍しいほどの美しさを持っているのだそうです。
ただ、そうした景観の価値というのは、それが「目に見えにくい」性質のものであるため、いろいろな難しさを抱えることになるのかも知れません。
例えば、ある自治体の首長さんから、こんなお話をうかがったことがあります。「町に広がる自然や農村風景、それら全体が貴重な資源で、地域のすばらしい財産なのですが、われわれ地元にいる者にとっては、それが毎日のことで、いつもの風景。そのためでしょうか、なかなかその価値に気が付かない。そんな傾向がどうしてもありましてね…」。その町は、町域に国立公園を含んでいて、農業と観光が基幹産業となっています。多くの方がご存知のように、国立公園とは「日本の景観を代表すると共に、世界的にも誇りうる傑出した自然の風景」として国が指定するエリアです。それほどの価値を町としては持っているのですが、地元の人としては意外にその大切さを受け止めていなかったりする、ということのようです。
また、こんな話を聞いたこともあります。ある地域で、環境整備と文化的な取り組みという二つの狙いを持って、公園に彫刻を設置していく事業に取り組みました。景気の良い時には順調だったのですが、経済がやや下降気味になってくるといろいろと意見も出てきます。地元の鉄工関係者がこんな提案をしてきたのだそうです。「彫刻家に1000万単位で予算をかけて依頼するのはもったいない。自分なら同じようなものを100万ぐらいで作れるんだけど」。きっと腕に自信のある気のいい鉄工屋さんだったのでしょう。しかし、「芸術作品がもたらす、目に見えない価値」を、その鉄工屋さんがどのぐらいまで意識していたのか、気になるところです。
最近、農業や農村の持つ「多面的な機能」ということが強調されるようになりました。人々の心を癒す美しい農村景観も、農業・農村の持つ多面的機能の一つとして位置づけられてきています。
けれども、そうした価値を正しく受け止めていく環境がまだ広がっていないのが日本の実情のようです。ある農業関係者から次のようなことを聞きました。「農業や農村の持つ多面的な機能ということがあちこち言われるようになってきた。では農家の収入は、そうした多面的な機能に応じたものになっているんだろうかというと、残念ながらそうじゃない。農家が手にしているのはやはり生産した農産物の分。景観、自然環境維持、交流の場、文化や伝統の伝承の場、そうした目に見えにくい価値についての対価を受け取る形にはまだなっていないんです」。そのため、「景観を守ってほしいと言われるけれど、そこに手間暇かけても何のメリットもない、と嘆く農家の人もいる」といいます。また、農業経営そのものが厳しくなってきている中で、農家の人々だけ、農村地域だけで美しい景観を維持していくのには限界が出てきて、地域にとっても日本にとっても貴重な財産であるはずの農村景観から、かつての美しさが徐々に失われつつあるのだそうです。
イギリス、スイス、ドイツなどをはじめヨーロッパ諸国では、「地域の景観は長期にわたる資産=文化的・経済的価値であり、みんなでそれを守っていく」という意識が徹底していると聞いたことがあります。たとえ「目に見えにくい」ものであっても、人々がその価値をしっかりと受け止めていく、ということが実現しているのですね。他国にできているのなら、日本でだって身近な農村景観を、地域全体の知恵、人材、資金を活用して守っていくということもできる、そんなふうに考えたいものです。そのような動きが少しずつでも大きくなっていけば、吹雪の後に青空が広がった先日の天候のように、農業や農村にとっての新たな可能性も開けていくのではないか…。何気ない風景に癒されながら、そうしたことが頭に浮かんできました。