農★blog - 2009/06/01のエントリ
「人類と類人猿、何がこの2つを分けたのか?」。そんなようなテーマを、何かのドキュメンタリーで取り上げていました。で、多くの人がご承知のとおり、もっとも大きな要因は「人間は直立して、2本の足で歩く」ということ。「猿だって2本足で歩くけど?」という人もいるかも知れませんが、猿の2足歩行は短い時間だけで、つねにその状態を保つことはできないのだそうです。ということで、直立した2足歩行をするかしないかが人間とサルとの分かれ目となり、人間は他のどの動物よりもはるかに自由に「手」を使い始め、道具を生み出し文化を築いていった…というような内容でした。
そんな人間の進化の歩みが背景となっているからなのでしょうか、私たちが使う言葉の中にも「手」にまつわる言葉がたくさんあります。例えば、手当て、手形、手間、話し手・聞き手、手法、手まり、手料理…、挙げきれないほどたくさんあって、ある学者によると「日本語には、手のつく言葉が千以上もある」と言われるほどです。
一つ面白いのは、「手」が身体としての「手」を表すだけではなく、他のものの代わりに用いられる、ということです。特に多いのが「手が人間自体を表現している」という言葉。上に挙げた「話し手・聞き手」はその一例で、ほかにも、歌い手、投手・内野手・外野手、運転手などなど。農業関係だったら「担い手」というのもありますよね。つまり「手」=「人間」として用いられるほど、手は「人間の人間たるもの」を象徴する言葉なわけです。
そしてまた、何かの「想い」や「意味合い」を含んだものとして「手」が用いられることもあります。「母親の作った料理を食べる」というよりも「母親の作った手料理を食べる」の方が、なんだかよりおいしそうなイメージがありますし、「手づくり」「手編み」などには、作り手の温かさが伝わってくるような気がします。
写真は、道南方面のJAさんを訪ねた途中で見かけた田植え風景。機械による田植えが普通になっている中、手作業での田植えは、イベントなどでの体験田植えなど以外ではなかなかお目にかかれません。手植え作業は、足腰にかなりの負担がかかるはずです。見ているだけでこちらも腰も痛くなってきそうでした。それでもあえて手で植える、そこに込められた農家の方の「想い」が、秋にはきっと多くの家庭に届けられ、たくさんの手料理と一緒に食卓をにぎわすことになるのでしょう。