農★blog - 2009/05のエントリ
「時代劇にはウソがいっぱい…」。そういうテーマの話を、どこかの学校の先生がテレビで力説していました。代表例として挙げられていたのが、「時代劇の暴れん坊将軍で、松平健さん演じる徳川吉宗が立派な白馬にまたがり海岸を走り抜けるシーン。この馬はサラブレッドですが、当時の日本にはまだいません」というもの。確かにサラブレッドは、18世紀にイギリスでアラブ馬やハンター種などを基に競走用に品種改良された馬で、日本に入ってきたのは明治以降のこと。時代考証的に言えば確かにそのとおりです。ただ、もともと時代劇自体ドキュメンタリーではなくて娯楽作品なのですから、そこまで厳密にするのがいいのかどうか、とも思うのですが。
昔からの日本産馬は、いまでは大変に数が少なく保護動物のような状態になっていて、撮影用に使用することは難しいと聞いたことがあります。また、サラブレッドと比べると体高も10〜20cmほど小さいようですから、松平健さんがそんなポニーみたいな馬に乗って登場すると、娯楽を飛び越えて「お笑い番組」に近くなってしまうでしょう。
時代劇を見ていて、サラブレッドが登場しても、それにあまり違和感を抱かない人のほうが多いのでは。それは、ふだん目にすることの多い「サラブレッド」が「馬」であるというイメージが、今の日本人の中に強くできあがっているためかも知れません。
お世話になっているJAさんの中に、そのサラブレッドの生産に取り組んでいるところがあります。そこの担当の方から、「日本のサラブレッドの生産数は、アメリカ、オーストラリア、アイルランドに次いで世界4位」「日本で生産されるサラブレッドの90〜95%が北海道、その北海道のうち日高産が約85%」など、これまで知らなかったことを教わりました。北海道は馬産地という感じはありましたが、これほどまでとは…。そして、日本での生産頭数が、1992年に12874頭であったものが、その後の社会事情の影響を受けて、2007年には7516頭まで減少していて、北海道の農業界にとっても深刻な状況にあることも話してくださいました。
サラブレッドは競走馬ですから、日本ではどうしても「競馬=ギャンブル」というイメージと一緒にとらえられることが多いと思いますが、その範囲だけではなく、競馬をスポーツや文化という面から見ていく、馬産に関わる経済の部分からも考えていく…、そうした捉え方が社会の中に少しずつでも広がっていくためのお手伝いを、私たちもしていかなければ、と考えています。
GWの連休、北海道ではお天気に恵まれて、行楽地はかなりの人出になったようです。温暖化の影響のためか、札幌近郊ではGWの連休と桜の時期が重なるようになってきていて、この時期は昼も夜もなく、花見を楽しむ人を見かけます。
手近な文献によると、日本における花見の起源は「奈良時代の貴族の行事」であり、初めは「梅」が鑑賞され、平安時代からはそれが「桜」に変わってきた、とされているようです。そうは言っても、きれいな花を眺めて楽しむ、というのは貴族でなくてもできるはずですから、もっと古くても不思議ではないのですが…。
さて、奈良時代から時を経た現代人は、「花見」は大好きでも「花」にはあまり関心がない、という人が多いようです。すぐ近くにキレイに咲き誇る花があるのに誰も見向きもせず、お酒、お料理、おしゃべり…。まあ、言葉では「花見」であっても実際は「宴会」ですからね。
そうした実態と関係あるのかないのか、切り花、鉢もの類、花壇苗など、いずれも消費量は減少傾向が続いているそうです。一時ブームになったガーデニングにしても、2008年版の「レジャー白書」の中で「園芸への参加率は01年37.4%をピークにして年々下降線をたどり、07年には27.6%。女性の参加率減少が顕著で、年齢別では50〜60代で参加率が80%以上を占め、若年層への浸透率は低い」と触れられていました。けっこうたいへんな状況が続いていることがわかります。そうした中で、花卉関係者も「20代、30代の若い層にどうアピールしていくか」「生活の中でもっと花に親しんでもらうためにはどうするか」という方向で、知恵を絞ってきているようです。
そのことに関係するヒントが、「花を売らない花売り娘の物語」という書籍で提起されていました。「人は花が欲しくて花を買いに来るわけではない」という提起から始まり、「花を贈る人は『花』そのものを贈るのではなく、『早く良くなってほしい』『ご盛会おめでとうございます』『コンサートお疲れ様でした』『あなたが好きです』という気持ち』を『花』に込めている。プレゼントではなく部屋に花を飾る人も『もっと部屋を明るくしよう』『花によって癒しを得よう』という『気持ち』や『想い』がある。その『想い』の具象化として、人は花を買う」という内容でした。
「気持ち」や「想い」を実現するものとしての花。そういう捉え方が社会の中でより広まっていけば、生活の中で花に親しむ場面は今よりも増えていくような気がします。そして、花が活躍すればするほど、そこに込められた「気持ち」や「想い」も社会にあふれていくことになる…。そんな大きな役割を「花」は担っているのかも知れません。