農★blog - 2008/08のエントリ
みなさん、こんにちは。きれいな花に彩られた三角屋根の建物。宗谷岬に近い中頓別町の中心街にあるバスターミナルなのですよ。
実はこの建物、19年前に廃線となった鉄道「天北線」の中頓別駅を再利用したものなのです。地域住民が大事に使っているので、今でも美しいままですね。
この中頓別町の隣には、浜頓別町という、とても似た名前で、まったく別の自治体があります。
地図は、浜頓別町役場HPより引用
http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp/tenpokusen/
さらに、この地図を詳しく見てみると、「下頓別」「上頓別」「小頓別」という、中頓別町や浜頓別町にそっくりな名前が続きますね。
私もドライブ中、「ここは、ナニ頓別だったっけ?」と、迷ってしまうこともしばしばです。
浜頓別町や中頓別町に広がる頓別原野に駅を作った開拓当時は、「頓別」以外の地名が少なく、駅名のもとになるような物もなかったので、便宜的につけたと言われています。浜頓別町や中頓別町の名前も、そこから生まれたそうですよ。
だから、こんなややこしい名前になってしまったのだとか…。1文字違いだけなので、覚えるのが大変ですよね〜。
天北線がなくなっても、天北線が作った地名は残り、地域住民の心に生き続けています。いつの日か、この地域の歴史の礎を作った列車の汽笛が再び街中に鳴り響くと、どんなにか素敵なことでしょうね。
みなさん、こんにちは。ここがどこか、分かりますか?
ギリシャ神殿の一部のような、ゴシック調の建物ですね。ここは、稚内港北防波堤ドームという北海道遺産にも選ばれた由緒正しい場所です。
全国ネットのCMなどで使われることの多い場所ですが、放送される際は、あたかも外国であるかのように自動車を右側通行させることもあるのです。そのため、ここが北海道であることに気づかない視聴者も多いようですね。
私も初めて稚内港北防波堤ドームに行ってみたのですが、まるで異国の古代遺跡に迷い込んだような、不思議な気持ちになりました。回廊を吹き抜ける風は、ひんやりとしていて、真夏であることを忘れさせるほどです。
どうして、このドームが必要だったのでしょう?
このドームが建設された昭和11年、稚内市と日本領だった樺太との間には定期航路が開通していました。乗客は、乗り継ぎのために稚内港駅(現稚内駅)と桟橋の間を歩かなくてはいけません。
しかし、その頃の北防波堤は高さ5.5mしかなく、高波の時には大変危険だったのです。そのため、「コンクリートで作れる、頑丈な遊歩道を」と、当時の知を結集して作り上げたのが、このドームだったのです。
老朽化のため、昭和55年に改良工事が行われたものの、事故などを起こすことなく、現在も安全に使われています。先人たちには、学ぶことが多いですね。
ちなみに、稚内港北防波堤ドームの裏側は、こんな感じです。
宗谷海峡の厳しい荒波をまともに受け止めなければならない構造からも、このドームの堅固さが分かりますね。
ドームがあるおかげで、現在も稚内市民は、この写真のように水害におびえることなく安全に暮らせます。
皆さんも、北海道を訪れた際は、稚内市の「縁の下の力持ち」ならぬ「水ぎわの力持ち」である、この稚内港北防波堤ドームを見に来てくださいね。
みなさん、こんにちは。先日、実家に帰ってみると、とんでもない宝物がありました。
これは、何か分かりますか?ちょっと前になりますが、7月12日に札幌ドームで開催された北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス戦で使われた試合球です。日本野球機構の略称「NPB」マークが入っていますね。
どうして、そんな貴重なものが自宅にあるのか聞いてみました。そうすると、「弟が内野席で観戦中に、受け取ったもの」とのこと…。
とても興味があったので、もっと詳しく聞いてみました。その日のファイターズは、“消える魔球”でおなじみ、元メジャーリーガーの多田野数人投手が先発。バッターボックスには、ホークスの松田宣浩選手。そのときに“事件”は起こったのです!!
松田選手がカットしたボールは、弟めがけてすごい勢いで飛んでくるではありませんか!! 札幌ドームには内野防球ネットがないので、ボールの勢いは衰えることなく向かってきます。「あぶな〜い!!」と叫びながら、身をかがめる弟。同時に、「ドーン!!」という激しい音。見ると、イスの金具の間にボールが挟まっていたそうです。
そんな訳で、多田野投手の実際に試合で投げていたボールが、自宅にやってくることになったのです。
北海道日本ハムファイターズは、現在2位。8月は北京オリンピックの影響で、ダルビッシュ有投手と稲葉篤紀選手が抜けますが、この調子で勝ち続けてほしいものです。